大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和55年(オ)195号 判決

上告人

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

藤井俊彦

外一一名

被上告人

有限会社大圭青木水産

右代表者

坂本元

右訴訟代理人

明石安正

明石奈保子

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

前項の部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告指定代理人蓑田速夫、同鎌田泰輝、同吉戒修一、同金丸義雄、同石戸忠、同高橋欣一、同小野拓美、同鎌谷稔徳、同鈴木恒雄、同伊窪幸雄、同平山救馬、同甲元孝和、同武田健の上告理由について

民法七一五条にいわゆる「事業ノ執行ニ付キ」とは、被用者の職務執行行為そのものに属しないが、その行為の外形から観察して、あたかも被用者の職務の範囲に属するものと認められる場合をも包含するものと解すべきことは、既に当裁判所の判例とするところである(当裁判所昭和三〇年(オ)第二九号同三二年七月一六日第三小法廷判決・民集一一巻七号一二五四頁、同年(オ)第二八一号同三六年六月九日第二小法廷判決・民集一五巻六号一五四六頁、同三九年(オ)第一一一三号同四〇年一一月三〇日第三小法廷判決・民集一九巻八号二〇四九頁、同四一年(オ)第六一〇号四三年一月三〇日第三小法廷判決・民集二二巻一号六三頁)。

これを本件についてみるのに、原審の適法に確定した事実によれば、(一) 航空自衛隊にはその機構として、補給処及び補給統制処が置かれ、(1) 補給処においては、航空自衛隊の需品、火器、弾薬、車両、航空機、施設器材、通信器材、衛生器材等の調達、保管、補給又は整備及びこれらに関する調査研究を行い、(2) 補給統制処においては、補給処の行う右の事務に関する統制業務を行うものとされている。(二) 航空自衛隊補給統制処第三部には、第三整備課、第三補給課及び第三調達課の三課が置かれているところ、第三整備課においては、通信器材、電波器材、気象器材、写真器材、訓練器材等及びこれらの部品について、(1) 整備業務の統制及び指導に関すること、(2) 整備の計画に関すること、(3) 整備に関する調達請求に関すること、(4) 改善及び改修業務に関すること、(5) 技術関係図書の審査に関すること、(6) 整備に関する基準の資料の作成に関すること、(7) 計画諸元に関する資料の作成に関すること、(8) 整備に関する標準化業務に関すること、(9) 関係予算の調整に関すること、(10) 部内の業務総括に関すること、(11) 部内の他の課の所掌に属しない事項に関することをつかさどるものとされ、同課には計画班、総括班、地上通信電子班、警戒管制班、支援器材班及びとう載通電班が置かれ、計画班(班長一名、班員三名が所属)においては、(イ) 部の所掌業務について、部の計画作成、事務の総括、調整、所掌予算の総括、調整及び現況把握、支援状況の総合把握、分析検討及び処理促進、エス・オー・ピー(業務準則)の作成維持に関すること、(ロ) 部内の他の課の所掌しない事項に関することをつかさどるものとされている。(三) 本件売買当時、航空自衛隊補給統制処においては、会計法上売買等の契約を実施する権限を有していたのは、支出負担行為担当官及び契約担当官として任命されていた者に限られており、(1) 分任支出負担行為担当官は整備基準部調達課長であつて、補給統制処長(補給分任物品管理官)の調達要求に基づき、日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定一条の規定に基づく有償譲渡物品につき契約を実施し、(2) 契約担当官は業務課会計班長であつて、補給統制処長(一般分任物品管理官)の調達要求に基づき、市ケ谷基地所在の部隊(航空自衛隊の中央航空通信群、幹部学校、補給統制処)で使用する事務用の備品及び消耗品につき契約を実施する、ものとされており、したがつて、補給統制処においては、ごく限られた物品について売買契約を締結することがあるのみで、海産物等の契約業務は行われていなかつた。(四) 補給統制処における職員の福利厚生に関する事務は、業務課厚生班がこれを担当していたが、右厚生班において職員のため衣料品、食料品等の購入をあつせんした例はなく、基地内には酒保が置かれ、委託業者がこれを経営し、隊員、職員の日用品、飲食物等の需要をまかなつており、市ケ谷基地における隊員等の糧食については、陸、海、空の各部隊が協力して、その業務を陸上自衛隊市ケ谷駐とん地の業務隊に一任していたが、その業務は同基地内に所在する建物のうち、補給統制処の所在する第一二号館とは別の建物である第二号館において実施されていた。(五) 本件売買当時、補給統制処第三部第三整備課計画班所属の中村栄作の担当職務は、(1) 同部の各課が作成した業務計画の進捗状況等の分析検討書を取りまとめ、部長承認を得るための諸準備に関する業務、(2) 会計検査院実施検査受検時に説明実施者が作成した質疑応答書の整備業務、(3)補給統制処の作成する機関誌「装備」の編集委員としての業務、(4) 第三部一般秘密保全責任者としての業務、(5) 技術指令書案の接受、記録及び送達の業務、(6) 装備品の維持管理を能率化するための標準化についての会議日時等を部内担当者へ連絡する業務であつて、もとより中村には売買契約締結権限、その他の契約締結の代理権を与えられてはいなかつた。(六) 中村の本件加害行為は、防衛庁事務官の地位を利用し自らの利を図る意図のもとに防衛庁との取引ができるという口実を設けて被上告会社から魚卵を騙取しようと企て、訴外竹内春男と共謀のうえ防衛庁が魚卵を買い受け、その代金を支払うものではなく、中村らもその代金を支払う意思と能力がなかつたのに、被上告人の専務取締役坂本元に対し、あたかも防衛庁が被上告会社から数の子及びすけとうだらの子を買い受けその代金を支払うもののように装い、購入物品名とその数量を口頭により注文し、その旨誤信した坂本から数回にわたり代金総額四〇九九万六五〇〇円にのぼる数の子及びすけとうだらの子の交付を受けこれを騙取したものであるが、中村は右売買の折衝にあたり購入予算の提示、購入物品の単価、代金について格別の取り決めをせず、しかも発注書又は契約書の作成、交付もしなかつた、というものである。

これによると、航空自衛隊補給統制第三部整備課計画班所属の防衛庁事務官にすぎない中村が、被上告会社との間で魚卵売買名下に行つた総額四〇九九万六五〇〇円にも及ぶ取引行為は、前記補給統制処、同処第三部第三整備課及び同計画班の各業務内容、中村の担当職務内容、補給統制処において売買等の契約を実施する権限を有する者並びに補給統制処における物品購入等の実情に照らせば、他に特段の事情がない限り、とうてい、これをもつて官庁としての防衛庁のする取引行為であり、同人の職務上の行為に属すると認められる外形を有するものであるとはいいえないというべきである。

ところが原判決は、本件中村の魚卵売買名下にした行為が中村の職務行為と外形上認められる事情として、(一) 補給統制処の置かれている第一二号館建物の表出入口には「補給統制処」と、裏出入口には「航空自衛隊補給統制処」と、それぞれ大書された木製の看板が掲げられていること、(二) 中村から注文を受けた坂本は、取引の相手方の真意を確認すべく中村に面会しようとし、昭和五〇年一二月一三日、竹下春男とともに市ケ谷基地薬王寺門から同基地に入門した際、面会申請書に面会の相手方を「中村栄作」、面会の目的を「商談」と記入してこれを係員に提出し、入門の許可を得て第一二号館二階の中村の執務室に至り、中村から右執務室向い側の第一会議室に招き入れられて取引の折衝をしたこと、(三) 中村は、取引の折衝にあたり、坂本に対し、「防衛庁で数の子を購入したいので、早急に五トンほど調達してもらいたい。お国のためだと思つて何とかお願いします。隊員が年末年始で帰省する前に納入してもらいたい。」旨申し入れたこと、(四) 中村は、昭和五〇年一二月一三日、第一会議室において、坂本に対し、「航空自衛隊補給統制処第三部防衛事務官」と肩書を付した自らの名刺を手交し、以後第三整備課計画班に設置された電話機を使用して数回にわたり坂本と通話したこと、の各事実を認定、指摘し、次いで、右事実のうち、(イ) まず(一)の事実からすると、第一二号館建物出入口に掲げられた看板を見てその掲示にかかる「航空自衛隊補給統制処」なる官署が防衛庁又は自衛隊において必要とする物資の購入等を所掌するところと考えるのは無理からぬことであると解し、(ロ) また、(二)及び(四)の事実からすると、一般人としても中村は職務の執行として取引をしているものと考えるのが通常であるといえる旨判示している。しかしながら、(イ)の点については、およそ官署の機関の所掌する事務の内容が該官署の名称だけから明らかにされるのが通常であるとはいえず、現に航空自衛隊の機関たる右補給統制処の設置並びにその所掌する事務の内容については自衛隊法二四条、二六条及び二六条の二の規定により定められているのであるから、前記名称のみから右官署の所掌事務が物資の購入等であるとの外観が存するということはできない。また、(ロ)の点についても、右の(二)の事実は、単に部外者である坂本が航空自衛隊基地内に入り基地部内の者と面接するにあたり、他の外部入門者と同じく通常要請されている面会申請書提出の手続をとつたというだけのことであるし、(四)の中村に第一会議室へ招き入れられて中村と面談したとの一事をもつて直ちに中村が職務執行として取引をしていると外形上認めうる事実とはいえないことも明らかである。更に原判決が前記(三)の事実によれば右中村の注文の言をもつて、一般人としては防衛庁又は自衛隊が隊員又は職員のために正月用品の一つである数の子をあつせんし、あるいは隊員又は職員の正月の食用に供するため、五トン程度の量の数の子を購入するということはその付随的な業務として行われたものであると考えても不思議ではないと推断している点についても、一般に防衛庁又は自衛隊において職員又は隊員のために物品購入をすることも付随的業務の範囲に属すると考えても不思議とはいえないということができるとしても、そうだからといつて、当該注文をした中村の本来の職務内容との関連性を全く抜きにして右中村の発言が中村の職務執行行為であると外形上認められる事情となりうるものとはとうていいいうことができない。

そうすると、原判決が援用する前記事情は、いずれも本件中村の行為が外形上同人の職務行為と認められるに足りる特段の事情とするに当らないから、原判決が、他にかかる事情の存在を認定することなく、本件中村の行為が民法七一五条一項にいう上告人の「事業ノ執行ニ付キ」なしたものであるとして、上告人に同条項の責任を肯定したのは、同条項の解釈適用を誤つたものといわざるをえず、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすものであることは明らかであるから、論旨はこの点において理由があり、原判決中上告人敗訴部分は、その余の論旨について判断するまでもなく破棄を免れない。そして、本件については、更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。

よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(谷口正孝 団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 和田誠一)

上告指定代理人蓑田速夫、同鎌田泰輝、同吉戒修一、同金丸義雄、同石戸忠、同高橋欣一、同小野拓美、同鎌谷稔徳、同鈴木恒雄、同伊窪幸雄、同平山救馬、同田中孝和、同武田健の上告理由

第一点 原判決には、民法七一五条一項の「事業ノ執行ニ付キ」の解釈適用を誤つた違法があり、この法令の違背は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一 原判決は、上告人に対し、防衛庁航空自衛隊補給統制処(以下「補給統制処」という。)第三部第三整備課計画班所属の防衛庁事務官中村栄作(以下「中村」という。)が被上告人から売買名下に魚卵を騙取した行為(以下「本件加害行為」あるいは「本件取引」という。)が民法七一五条一項所定の「「事業ノ執行ニ付キ」行われたものであるか否かを判断するについては、その行為が客観的に見て被控訴人の事業に付随的な業務に関係すると認められるか否か、及びその行為が客観的外形的に見て被用者たる中村の職務に属すると認められるか否かの各点から検討するのが相当である。」(原判決二六丁表五行目から一〇行目)とした上で、「中村が補給統制処所属の防衛庁事務官として控訴人から売買名下に魚卵を騙取した行為は、その客観的外形的な諸事情から見て、被控訴人の事業の執行につき行われたものという範疇に該当するものと断ぜざるを得ない」(原判決二八丁裏九行目から二九丁表被行)として、民法七一五条一項の責任を肯定した。右のように、原判決は、被用者の不法行為が民法七一五条一項所定の「事業ノ執行ニ付キ」行われたものか否かを判断するには、

1 被用者の不法行為が客観的に見て使用者の事業に付随的な業務に関係すると認められるか否か

2 右行為が客観的外形的に見て被用者の職務に属すると認められるか否か

の二点を検討することが必要であり、かつ、それで足りるとする見解を採つている。

しかしながら、右の解釈は、民法七一五条一項所定の「事業ノ執行ニ付キ」の判断に当たり、被用者のした不法行為と同人の職務との関連性を捨象し、客観的、外形的にのみ見る誤りを犯している。その理由を項を改めて述べる。

二 民法七一五条一項所定の「事業ノ執行ニ付キ」なされた行為というためには、被用者の職務と加害行為との密接な関連性が必要不可欠である。

1 民法七一五条一項にいういわゆる使用責任者は、被用者を使用して事業を営む使用者は、被用者をその支配関係のうちに収め、その労働力を利用することによつて、自己の活動範囲を拡張してそれだけ多くの社会的利益を受けるものであるから、被用者がその事業の執行について他人に損害を加えたときには、公平の観念からみて使用者がその損害を賠償すべきであるといういわゆる報償責任の法理によつて根拠付けるのが通説である(末弘厳太郎・債権各論一〇七八ページ、鳩山秀夫・増訂日本債権各論下九一〇ページ、我妻栄・事務管理不当利得不法行為(新法律学全集)一六二ページ、加藤一郎・不法行為(法律学全集)一七七ページ、四宮和夫・事務管理不当利得不法行為(判例コンメンタールⅥ)二六二ページ等)。

民法七一五条一項所定の「事業ノ執行ニ付キ」の解釈については、いわゆる外形理論によることが一般に支持されているが、使用者責任の法的根拠が右に述べたような報償責任の法理に基づくものである以上、右の外形理論の適用も行為の外観を信頼した第三者の保護のみに偏ることなく、報償責任の法理を前提とした上でのものでなければならないことは当然である。けだし、行為の外観の信頼にのみ重きを置くときには、使用者側の事情は一切捨象されてしまうことになるが、かくては、使用者は被用者の本来なすべき職務ないしはそれと密接に関連する行為に限り監督することが可能であるという事情を看過することになり、報償責任の法理の根本にある公平の理念を害することになるからである。

そこで、報償責任の法理を前提として民法七一五条一項所定の使用者責任の範囲を考えてみると、それは使用者がその支配下にある被用者を使用することによつて、使用者の社会的活動が拡張されたと客観的、外形的及び合理的に認められる範囲内における被用者の行為に限られるということができる。これを更に具体的に言えば、(一)被用者のした行為が使用者の事業、あるいはそれに付随するものの範囲内に含まれ、(二)被用者の行為が被用者の本来なすべき職務の範囲内であるか、あるいはそれと密接な関連性があり、(三)第三者から見て被用者の正当な職務行為であると信頼するに足りるような外観があるときにおいて、使用者責任が生じると解すべきである。

以上のとおり、「事業ノ執行ニ付キ」の判断に当つては、被用者の加害行為が被用者の本来なすべき職務の客観的範囲内であるか、あるいは、それと密接な関連性のあることが必要不可欠であり、それに加えて、被用者の加害行為をその職務行為とみなすべき外観のあることが要求されるのであつて、被用者の加害行為が客観的に使用者の事業の範囲内の行為であるかのように見え、かつ、被用者の職務行為であるかのように見えさえすれば、それのみから直ちに「事業ノ執行ニ付キ」の要件が充たされたものと解するというようなことは許されないのである。それは、いわゆる外形理論を誤つて理解するものであり、かくては使用者側の事情を全く無視する結果となり、それは公平の原理に反し、「手放しの被害者保護論」であるとの批判を免れないのである(田上富信「使用者責任における「事業ノ執行ニ付キ」の意義」現代損害賠償法講座六巻五三ページ)。

2 次に、使用者責任に関するこれまでの最高裁判所の判例を見てみると、いずれも右に述べたところと同様に使用者責任を肯認するためには、被用者の行為と同人の職務との間に密接な関連性があることを要件としている。これらの判例のうちの代表的なものを掲げると、以下のとおりである。

(一) 最高裁昭和三六年六月九日第二小法廷判決・民集一五巻六号一五四六ページ

本判決は、協同組合の書記として、組合の取引関係、金融関係の事務及び手形事務を担当し、理事長の記名印、印鑑等を保管していた被用者が、その権限を濫用し、右記名印等を使用して理事長名義の約束手形を偽造して交付した事案につき、使用者責任を肯定し、その理由において、「本件被用者の行為は、本来の職務を逸脱しその地位を濫用して為されたものであるが、その行為は本来の職務と密接な関連を有し外形上本来の職務の執行と見られる」(傍点・上告人指定代理人)と判示して、使用者責任の判断は単なる外形判断のみでは足らず、本来の職務との密接な関連性を要することを明らかにしている。

(二) 最高裁昭和三七年三月二〇日第三小法廷判決・民集一六巻三号五七八ページ

本判決は、名古屋市財政局主税課に所属する財政局主事が同局収納課の所管事務である差押物件の公売処分を仮装し、公売代金名下に金員を騙取した事案につき、原判決及び原判決の引用する第一審判決の判断は正当であるとして、使用者責任を否定しているところ、原判決及び原判決の引用する第一審判決は、使用者の責任につき、「被用者が外部に対し使用者のため或包括的職務を行う権限を有しているとき使用者が内部規定を以て担当事項を制限しようとも、又被用者が担当事務として現に行つている限りこれと異る事務分掌を定めていようとも、被用者が第三者に与えた損害については使用者は責任を免れるものではないが、全く被用者の権限外、担当職務外の行為についてまで、民法七百十五条は、使用者に責任を負わせようとする趣旨ではない。本件においても足立健(上告人指定代理人注・前記財政局主事、以下同じ)の担当職務は前記「名古屋市処務規定」「課の係並に分掌事務規定」により明文を以て固定資産税賦課事務及びこれに附随する事務と定められ、且之に厳格に制限されており、他に右規定にかかわらず、差押公売関係事務を担当し得る包括的権限もしくは代行権限を有していたと考える根拠はないし、又当時現実に公売関係事務を担当していたこともないこと、前記認定のとおりであり、従つて職務権限、現実の担当職務を濫用して公式の手続からはずれた公売処分をなし、且廃棄の公売代金領収書を使用したものともいえないこと当然であり、具体的な職務権限、担当職務を離れて「市の吏員」たる地位の濫用ということは考える余地がない。もつとも、現、財政局「主税課」と同じ名称の理財局「主税課」がかつて公売関係事務を行つていたこともあり、又一般市民としても被告の何課が公売関係事務を行い、又それがどう変つたかは必ずしも明瞭でなく、そのため足立の行為を、その職務権限に基く被告の業務執行と誤解しやすい事情はあつたであろうが、民法七百十五条はこれ等の外観を信用した第三者の保護のため特に使用者の責任を定めたものではなく、被用者の行為が、客観的且合理的に使用者の事業の執行の範囲に属すると認められる限りにおいて使用者の行為として責任を負わせた規定であり、従つて前記のような事情があるからといつて、被告に賠償責任があるとすることはできない。」と判示し、被用者の行為が外形的に職務執行行為であるかのように見えたとしても、その担当職務との関連性が伴わない以上、使用者責任を問うことができないことを明らかにしている。

(三) 最高裁昭和四〇年一一月三〇日第三小法廷判決・民集一九巻八号二〇四九ページ

本判決は、会社の手形係として、会社の手形振出に関し、手形用紙に満期と振出人欄を除いた手形要件を記入し、会社代表者において満期を決定し、振出人欄に会社及び代表者の各記名印及び印章を押捺した後、満期を記入して支払先等に交付する等の職務を担当していた被用者が、右手形係を免ぜられた後に会社名義の約束手形を偽造した事案につき、使用者責任を肯定し、その理由中において、「民法七一五条にいわゆる「事業ノ執行ニ付キ」とは、被用者の職務執行行為そのものには属しないが、その行為の外形から観察して、あたかも被用者の職務の範囲内の行為に属するものとみられる場合をも包含するものと解すべきであり、このことはすでに当裁判所の判例とするところである(省略)。これを被用者が取引行為のかたちでする加害行為についていえば、使用者の事業の施設、機構および事業運営の実情と被用者の当該行為の内容、手段等とを相関的に斟酌し、当該行為が、(い)被用者の分掌する職務と相当の関連性を有し、かつ(ろ)被用者が使用者の名で権限外にこれを行うことが客観的に容易である状態に置かれているとみられる場合のごときも、被害者の保護を目的とする民法七一五条の法意ならびに前示判例の趣旨にかんがみ、外形上の職務行為に該当するものと解するのが相当である。けだし、(い)にいう本来の職務との間に相当の関連性を有することは、当該行為が被用者の職務の範囲内に属するものと思料される契機となりうることは疑いがなく、しかも、被用者の権限外の行為に対して使用者の支配が及びうるにかかわらず、(ろ)のごとくこれを容易に行いうる客観的状態が事業の施設機構等に存するときは、被用者の行為がその職務の範囲内に属するものとの外観をもたらすのが通常の事態であると認められるからである。」(傍点・上告人指定代理人)と判示して、被用者の加害行為が職務行為と相当の関連性を有していることが使用者責任の要件であることを明らかにしている。

(四) 最高裁昭和四五年二月二六日第一小法廷判決・民集二四巻二号一〇九ページ

本判決は、経理事務を担当し、その職務として、手形振出に関する資金計画を立案し、手形作成に用いる代表取締役以外の印章、文字印、手形用紙等を保管し、自由にこれを使用することができ、また手形記入帳には手形発行の際自ら記入することを職務内容としていた被用者が手形を偽造した事案につき、使用者責任を肯定し、その理由中において「同人が本件手形を偽造、交付した行為は、上告会社の被用者としての職務執行行為そのものではないが、その職務内容に密接に関連していて行為の外形から観察してあたかも被用者の職務の範囲内の行為に属するとみることができるのであるから、その行為は、上告会社の「事業ノ執行ニ付キ」なされたものと解して妨げないものというべきである」(傍点・上告人指定代理人)と判示して、従前の判例と同様に被用者の行為と職務との関連性を要求している。

以上、民法七一五条一項所定の「事業ノ執行ニ付キ」の解釈を判示した代表的な最高裁判所の判例を概観したが、これから明らかなように、最高裁判所は、使用者責任を認めるに当たつては、単純な外形理論によらないで、被用者の行為とその職務との密接な関連性を要求しているのであり、これと異なる原判決は民法七一五条一項の解釈を誤り、独自の見解を述べたものにほかならない。

なお、本件と若干類似すると思われる事案としては、最高裁昭和三九年七月二九日第二小法廷判決・訟務月報一〇巻九号一二三二ページがある。これは、保安大学の物品購入権限のない会計職員等が物品調達を仮装してなした自動車の詐欺の事案につき、使用者責任を否定した事案であるが、右判決は、その理由において、「本件当時保安大学において、物品購入の権限を有していたのは支出負担行為担当者として任命されていた総務部長訴外曽我孝之であり、同人の決裁により物品購入の衝にあたり業者と折衝し、契約書の文案を作成するのは総務部会計課調達係の職務であつた。訴外早坂稔は、会計課予算係長であつて、事務分掌規程上分担していたのは、(1)予算の編成、配分、支出負担行為計画等に関すること、(2)支出負担行為担当官の事務および官印の保管管守に関する事務等であり、そのほか、支出負担行為担当官の命令あるときに限り、事実上その職印を押捺する事務を執つていたにとどまり、物品購入の職務権限は職制上はもとより、事実上も有していなかつた。また訴外葉原暹は、同大学管理課武器係員で事務分掌規程上では、車輛の維持、管理および配車に関する事務を司つていたので、保安大学内部の関係で自動車の購入を申し入れたり、購入にあたつて、管理課用度係から申出があれば、専門の立場から検査をして意見を述べ、事実上自動車買入れの際バスを除いて検収に立ち合つていたが、購入する自動車を自ら受領する権限はなかつたというのである。これによれば、早坂が保安大学の名で本件自動車の売買について業者と折衝し、かつ契約書を作成してこれを業者に交付し、また、葉原が、同大学の名で本件自動車の引渡を受ける行為は、同人らの正規の職務の範囲内でないことは明らかであり、同大学の業務の実際においても、同人らの職務の範囲に属する行為と認むべきものはないといわなければならない。しからば、早坂および葉原がした原判決行為は、保安大学の事業と関係なく、共謀して本件自動車を騙取したものというほかな」いと判示している。

三 以上のように、民法七一五条一項所定の「事業ノ執行ニ付キ」の正当な解釈としては、被用者の行為が外形上事業の範囲内の行為であり、かつ、同人の職務執行行為であると認められるだけでは足りず、右行為と被用者の本来なすべき職務との間に密接な関連性のあることが必要である。

原判決は、先に指摘したように、学説、判例により承認されている右の正当な解釈と異なり、被用者の行為と同人の職務との間の関連性を不要とする見解を示しているが、このような見解が民法七一五条一項所定の「事業ノ執行ニ付キ」の解釈を誤つたものであることは既に明白である。

そして、原判決の認定したところによれば、中村の担当業務は、「(1)(上告人指定代理人注・航空自衛隊補給統制処)第三部の各課が作成した業務計画の進捗状況等の分析検討書を取りまとめ、部長承認を得るための諸準備に関する業務、(2)会計検査院実地検査受検時に説明実施者が作成した質疑応答書の整理業務、(3)補給統制処の作成する機関誌「装備」の編集委員としての業務、(4)第三部一般秘密保全責任者としての業務、(5)技術指令書案の接受、記録及び送達の業務、(6)装備品の維持管理を能率化するための標準化についての会議日時等を部内担当者へ連絡する業務」(原判決一九丁裏二行目から末行)であり、また、中村の所属する補給統制処においては、ごく限られた物品について売買契約を締結することがあるのみで、しかも、契約締結権限を有する者は装備基準部調達課長と業務課会計班長の二名だけであつて、海産物等糧食の契約業務は行つていなかつたのであり、中村には売買契約締結権限はもとよりその他の契約締結権限も全く与えられていなかつた(原判決二〇丁裏二行目から七行目)というのであるから、中村のした本件取引は全くの無権限行為であるばかりか、いかなる意味においても中村の担当業務と関連性を有しないことは明白というべきである。このような行為に民法七一五条一項を適用した原判決は同法条の解釈適用を誤つたものであり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第二点 中村の本件加害行為が上告人の事業の執行につき行われたものとした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の適用の誤り、経験則違背ないし理由不備、理由齟齬の違法がある。

一 原判決は、中村の行為が上告人の「事業ノ執行ニ付キ」行われたものであることの根拠として、(一)「航空自衛隊には機関として補給処と補給統制処が置かれているのであるが、一般人が右各名称表示を見て両者の担当事務及び差異を識別することは極めて困難である」(原判決二六丁裏初行目から四行目)から「一般人が表出口に掲げられている「補給統制処」と大書された看板を見て、その官署が防衛庁又は自衛隊において必要とする物資の購入等を所掌するところであると考えるのは無理からぬことである。」(原判決二七丁表初行目から四行目)こと、(二)「坂本元は、取引の相手方の真意を確認すべく、防衛庁事務官の中村栄作に面会しようとしたのであるが、面会するに際し所定の厳格な手続をとり、面会の目的を「商談」と記入して面会申請書を提出し、入門の許可を得て中村の執務室に至り、中村から第一会議室に招き入れられて取引の折衝をしたのであるから、一般としても中村は職務の執行として取引の折衝をしているものと考えるのが通常であるということができる。」(原判決二七丁表五行目から同丁裏初行)こと、(三)「取引の折衝にあたり、中村はまず、坂本に対し、「防衛庁で数の子を購入したいので、早急に五トンほど調達してもらいたい。お国のためだと思つて何とかお願いします。隊員が年末年始で帰省する前に納入してもらいたい。」等と申し入れたのであるが、一般人としては、防衛庁又は自衛隊が、隊員又は職員のため正月用品の一つである数の子をあつせんし、あるいは隊員又は職員の正月の食用に供するため、五トン程度の数の子を購入するということは、その付随的な業務として行われ得るものであると考えても不思議ではないということができる。」(原判決二八丁表二行目から末行)こと、(四)「中村は、昭和五〇年一二月一三日、第一会議室において、坂本に対し、「航空自衛隊補給統制処第三部防衛庁事務官」と肩書を付した自らの名刺を手交し、以後第三整備課計画班に設置された電話機を使用して、数回にわたり坂本と通話をしていたのであるから、一般人とすれば、中村は職務上坂本と取引の折衝していたものと見られて然るべきものであるということができる。」(原判決二八丁裏初行目から七行目)ことを挙げ、右(一)ないし(四)の諸点に照らせば、中村の本件加害行為は、「その客観的外形的な諸事情から見て、被控訴人の事業の執行につき行われたものという範疇に該当するものと断ぜざるを得ないものというべきである。」(原判決二八丁裏一〇行目から二九丁表二行目)と判示している。

しかし、右(一)ないし(四)の事実は、中村が極めて大胆に補給統制処の会議室、執務室等を本件詐欺行為の舞台として用い、その道具立てとして利用したことを示すものであり、一見、その職務の執行として行われているものであるかのような印象を一般人に与えるものであることは否めないにしても、原判決のようにこれらの事実を根拠として、本件取引が上告人の事業の執行につき行われたものと断ずるには到底足りないことが明らかであるといわなければならない。

二 しかも、原判決は、他方において、「控訴人の専務取締役坂本元は、中村栄作との間における取引の折衝につき、中村から防衛庁の購入予算額の表示を受けず、購入物品の単価・代金についても格別の取り決めをせず、単に購入数量を指示されただけで、しかも、発注書又は契約書の授受をしなかつたものであり、また、その後の取引の過程においても、中村から納品受領書を受け取ろうとせず、最終回(昭和五一年一月三〇日)には中村が「補給統制処の車両は使用できないから。」と言つて自家用(白ナンバー)の貨物自動車を差し向け、前記大井埠頭の倉庫の前において「たら子もついでにもらつて行こう。」と申し入れて坂本からその引渡しを受けた事実を認めることができるところ、これを一般的に見れば、防衛庁との間において、多量でしかも高額な数の子の取引をしようとするものとしては、右認定のような事実は異例なことであると指摘されてもやむを得ないものである」(原判決二九丁表三行目から同丁裏七行目)と判示しながら、更に「控訴人の従前からの取引慣行に照らせば、魚卵の単価・代金額は取引時における相場により自ら定まるものであり、契約書・納品受領書等の授受がないことは控訴人側の不利益に作用するにとどまり、また、予算額の提示の有無は控訴人側から見て重要な事柄でなかつたので、坂本は、中村との間の魚卵の取引において、あえて予算額の提示、代金額の決定、発注書・契約書の作成及び納品受領書の交付等を中村に要請せず、そのため取引の形式としては極めて簡略な方法を措つたにすぎないものと見るのが相当であるから、右認定の事実は、中村のした行為を被控訴人の事業の執行につき行われたものと判断するのを妨げる事由にならないものというべきである。」(原判決二九丁裏八行目から三〇丁表八行目)と判示している。

三 また、原判決は、被上告人には中村の行為が真正の事業執行でないことを知らなかつたことにつき重大な過失があるとの上告人の主張に対し、補給統制処等の業務内容、中村の担当業務内容、補給統制処における物品購入等の現状等からすれば、本件取引は、防衛庁の行う取引としては異例な行為であり、しかも異例な態様による行為であつたということができるとしつつ、「しかし、それは、補給統制処等の業務内容、防衛庁における取引の具体的実施方法等を日ごろから見聞して知悉している者の立場から見た場合においてそのように評価できるといえるにすぎないことであつて、後記認定の状況下において、中村と折衝した坂本元の立場から見れば、中村のした取引行為は正当な職務行為に当たるものと見えたのであり、そのように見えたことは、一般的評価として相当であつたということができる。」(原判決三一丁裏初行から八行目。傍点上告人指定代理人)と判示し、更に右にいう坂本の置かれた状況として、被上告人は、中央卸売市場において、イクラ・数の子・たら子・筋子等魚卵の卸売業を営んでおり、取引の相手方は寿司屋・魚屋等であること、被上告人としては、その商品が鮮度を生命とし、相場の上下が激しい性質のものであるため、取引は相い対又は電話によつて決めるのが通例であり、注文書・契約書等を取り交わす事例はないこと、被上告人は、本件で初めて官庁との取引をしたものであること、坂本は、中村が魚卵の相場を良く調査して知つていたように見えたので、日ごろ寿司屋・魚屋等を相手方として取引をしている場合と同じような方法で取引を進めればよいものと考え、口頭による取り決めで数の子の売買契約を締結したこと、その際官庁との取引をするには注文書・契約書等の作成が必要であるなどとは考え及ぼなかつたこと、坂本は、所定の手続を経て市ケ谷基地に入門し、「補給統制処」と大書された看板を見分し、中村の執務室に至つた後、中村から第一会議室に招き入れられて取引の折衝をしたので、中村が職務上の行為としてその折衝に当たつているものと信じて疑わなかつたことを挙げている(原判決三一丁表九行目から三二丁裏二行目)。

四 右二、三における判示から明らかなように、原判決は、本件取引には防衛庁との間の取引としては異例の点があるということを認めながら、結局被上告人側の従前からの取引慣行からする事情を主たる理由として、本件取引を被上告人の事業の執行について行われたものと判断するのを妨げないとし、また、坂本にとつて中村の本件取引行為が正当な職務行為と見えたことは相当であると言い得るとするのである。

しかし、原判決認定のとおり、被上告人は従前寿司屋・魚屋等を相手として取引をしており、本件において初めて官庁との取引をしたものであるが、仮にかような被上告人の従前の取引の相手方との間の慣行が判示のとおりであるとしても被上告人の専務取締役である坂本元が官庁を相手とする本件取引においても右慣行どおりの方法が妥当すると考えたということは、本件のような取引を行う者としては誠に首肯しがたいところであり、極めて軽率であるといわなければならない。

およそ官庁が物品を購入するについては私人とは異なり、法令その他により一定の手続が定められており、一定の方式による書類の作成、授受が要求されるものであることは一般人の常識に属する事柄である。本件のような取引を官庁が行う場合、担当者が単に購入数量を口頭で述べるのみで、発注ないし契約について何らの書類も作成、授受せず、単価、代金についても何の取決めもしないのみか、この点について担当者の側から全く質問もなされず、納品に関する正規の書類の作成、授受もなされない上、官用車でない自動車によつて物品を引き取り、しかも、注文品受取りの際、注文品以外の二トン強、一六〇万円相当の多量のたら子を、その場で現物を見て追加注文して引き取るというようなことがその真正な取引の形態であると考えるということは常識上誠に首肯しがたいところである。しかも、本件取引は、昭和五〇年一二月一三日の当初注文分が代金二八五九万円、同月二〇日の第一回追加注文分が代金五四〇万円、同五一年一月二八日及び三〇日の第二回追加注文分が代金七〇〇万六五〇〇円、代金総額四〇九九万六五〇〇円にも上る極めて大量、高額の取引であることを考え合せると、なお更であり、取引の相手方としては前記のような形態の取引については強い不審の念を抱くのが当然というべきである。原判決が、本件取引を上告人の事業の執行につきなされた行為と判断し、かつ、被上告人に重過失が存したことを否定する理由として挙示する二、三掲記の被上告人側の従前の取引慣行は、寿司屋・魚屋等の顧客相手の少額取引におけるものであつて、本件のような官庁相手の極めて多額の取引とは全く異質のものであり、そのような取引慣行を援用することによつて本件取引の異例さを無視することはおよそ見当違いの論であるといわなければならない。本件取引は被上告人の従前からの取引とは、その相手も全く異なるものである上、官庁の物品購入に一定の手続、方式等が要求されるものであることは一般人の常識であるから、坂本元が本件取引の態様の異例さについて被上告人側の従前からの取引慣行を理由として不審の念を抱かなかつたことを相当とする原判決の判断は失当といわなければならない。本件において、被上告人側に重大な過失があつたというべきか否か、したがつて、本件取引を上告人の事業の執行につきなされた行為と見るべきか否かを判断するに当たつて問題なのは、本件取引が通常人の見地から見て、官庁のする取引として異例な態様のものであるか否かということであり、寿司屋・魚屋等の顧客相手の被上告人の通常の取引形態に添うものであるか否かというようなことではない。本件において、取引慣行を問題にするとすれば、それは官庁の行う取引における慣行であり、被上告人の従前の取引慣行ではないといわなければならない。原判決の右判示は失当である。

五 原判決は、被上告人の専務取締役坂本元の過失につき、「坂本元は、当初竹内春男から勧められて、防衛庁の担当者から具体的な話を聞き、防衛庁が竹内の説明するように本当に数の子を買うものであるかどうかを確認する目的をもつて中村栄作を訪問したのであるから、その場でいきなり初対面の中村から数の子五トンを買い受けたい旨申し入れを受けても、直ちにその話に乗ることなく、若干の間合を取つて熟慮する機会を設け、中村の所属部署及び中村の職務権限等につき調査をしてみる必要があつたものということができるところ、原審証人坂本元の証言によれば、坂本は、竹内から「中村は一佐くらいの資格を持ち、物資の購入につき統轄して処理している。」旨説明を受けてこれを鵜呑みにし、他に確認の方法を講じなかつた事実を認めることができるのであるから、坂本には中村との取引を実行するにつき右の点に過失があつたものと見るべきである。」(原判決三二丁裏三行目から三三丁表六行目)が、この過失は、「軽少な過失にとどまるものというべきであり、重大な過失と見るのは相当でな」い(原判決三三丁表八行目から九行目)と判示している。

原判決は、右のように坂本が中村の権限についての竹内の説明をうのみにし、他に確認の方法を講じなかつたことに過失を認めているが、その過失の程度いかんは、坂本にとつて、本件取引の紹介者である竹内がどの程度信頼し得る人物であつたかということによつて大きく左右されるものといわなければならない。しかし、この点について原判決は、「坂本は、昭和三八年ころから訴外竹内春男と知り合い、交際していたが、竹内は、昭和五〇年一二月ころ食料品のブローカーをしていた。」(原判決一二丁表五行目から七行目)と判示するにとどまり、坂本と竹内との交際が仕事を離れた全くの私的なものだつたのか、それとも仕事上の取引関係もあつたのか、また、その交際において竹内は坂本から見て信頼し得る人物であつたのかということについては、何ら説示するところがない。しかも、本件各証拠によれば、坂本は、竹内を全く信頼していなかつたことが認められるのである。すなわち、坂本は、中村の詐欺等被疑事件の捜査に当たる司法警察員に対し、人のうわさでは、竹内が魚河岸の業者をあつちこつち引つかけて悪いことをしていると聞いたことがあり、竹内が本件取引の話を持つて来たときも、またでたらめを言つてたかりに来たのか位にしか考えていなかつた旨供述し(甲九号証四項、五項参照)、第一審において、竹内が本件取引の話を持つて来たことについて、「まるつきり信用していなかつたんですよ。」(第一審証人坂本元の証人調書二丁裏)とか、「また例によつて口から出任せだと思つて全然信用しませんでした。」(同三丁表)と証言しているのであり、中村も、同人の詐欺等被疑事件の捜査に当たる司法警察員に対し、「坂本さんは「本当に防衛庁で購入するんでしようか。竹内には何度か欺されているんですが、今度は防衛庁に納めるといいますし、本当に間違いないのでしようか。」と念を押すように聞きますので……」と供述し(甲一〇号証五項)て右坂本の言を裏付けている。

したがつて、竹内が坂本から見て信頼し得る人物であつたかどうかについて認定することなく、坂本の過失を軽少な過失にとどまるものとした原判決の判断は理由不備の違法を犯したものと言うべきであり、また、前掲証拠によれば、坂本は竹内を全く信頼していなかつたことが優に認められるのであるから坂本の過失は重大な過失というべきことが明らかであるといわなければならない。

六 また、官庁においては、それぞれ部局ごとに所掌事務所が異なり、職員間に権限が分配されており、たとえその部局の所掌に属する事項であつても権限のない者は行うことができないことは一般人の常識である。したがつて、官庁相手の取引においては、どの部局が権限を有するか、官庁側の担当者がどの程度の権限を有するかということが、取引の相手方にとつての重大関心事であるといわなければならない。

しかも、本件において、被上告人はこれまで官庁との取引をしたことがなく、被上告人にとつては、本件が官庁との初めての取引であつたのであり、加えて、本件は通例の取引額をはるかに上回る総額四〇〇〇万円を超える高額の取引であつたのであるから、通常の商人であるならば、慎重の上にも慎重な配慮を尽くして取引に当たるべきであり、坂本は取引の直接の相手である中村の所属部署及びその職務権限につき調査を遂げた上(この調査は、中村の上司に面会を求めて、儀礼上のあいさつをする中で、中村の職務権限及び本件取引等を確認すればすむことであり、極めて簡単なことである。)、代金等の詳細を取り決め、契約書等を取り交わすべきであつたのである。坂本は、このような注意をすべて怠つたが、これは健全な商人としての常識を著しく欠いた極めて不注意な取引といわなければならず、その過失は重大であり、したがつて、本件取引は上告人の事業の執行につきなされた行為とは言い得ないといわなければならない。

しかるに、原判決が、坂本につき右のような調査の必要性のあつたことを認める(原判決三二丁裏九行目から一一行目)ものの、これを怠つた坂本の過失は軽少な過失にとどまるものとして本件取引を上告人の事業の執行につきなされた行為としたのは失当である。

七 ところで、本件において中村の欺罔行為は当初の数の子五トンの注文、数の子一トンの第一回追加注文、数の子一トン及びたら子二トン余の第二回追加注文の前後三回にわたりそれぞれ別個に行われているが、昭和五一年一月の第二回追加注文の場合は、前二回の場合と明らかにその態様が違い、事情を異にしているのである。

すなわち、原判決の認定によれば、中村は、当初注文に際し、代金は、昭和五〇年一二月二八日までに半金を支払い、翌年一月一五日までに残金を支払う旨申し向けておきながら、これを履行せず、被上告人から昭和五〇年一二月二八日ごろ支払の催促を受けたのに対し、「一二月一五日までに品物が入らなかつたので、支払は来年になつてしまう。」(原判決一六丁表七行目から九行目)旨弁解し、更に昭和五一年一月八日ごろ再度の催促に対し、「年が明けて直ぐ、会計検査院の調査があつて、帳簿を動かせないから、調査が終わるまでもう暫く待つてほしい。」(原判決一六丁表末行から同庁裏初行)旨の弁解を繰り返し、第二回追加注文がなされた同月末ごろは、当初注文及び第一回追加注文の代金合計三三九九万円を一円も支払つていない状況にあつたのである。しかも、当初注文及び第一回追加注文に際し中村は「自衛隊員の正月用の数の子」を購入したい旨述べていた(原判決一三丁裏六行目から一四丁表二行目)のであるから、年が明けてからの注文は予想されないものであつたにもかかわらず、数の子の第二回追加注文は、年が明け正月用品の需要期は既に終つて久しい一月二八日ころに行われたものであり、その引取りに際しては、中村自らが「補給統制処の車両は使用できないから。」と言つて自家用(白ナンバー)の貨物自動車で出向いた上、その場で「たら子も希望者が多いので、ついでに二トンほどもらつて行こう。」と申し入れて、従前取引のなかつたすけとうだらの子二トン(代金一六〇万六五〇〇円相当)をも受け取つている(原判決一七丁表三行目から末行及び二九丁表一〇行目から同丁裏初行)のである。

このように、昭和五一年一月末ごろには、被上告人の再三の催促にもかかわらず、中村は子供だましにも等しいような弁解を繰り返し、それまでの分は三四〇〇万円という多額の代金を全く支払つていなかつた上に、従前は正月用品という触れ込みであつたのに一月末という時期になつて更に数の子を注文したのであり、しかも、数の子引取りの現場で、衝動買い的に一六〇万円相当という多量のたらの子を追加注文しているのである。

このような中村の言動は、官庁のする取引としては全く粗雑であるばかりでなく、不誠実かつ不審極まるものというべく、坂本において商人としての通常の注意を払つていたならば、当然不審の念を抱くべきところであるといわなければならない。

このように本件取引中、第二回追加注文にかかるものは、前二回の注文に比しても、特に不審な点が多く、その態様も異例の度が極めて強いことが明らかである。本件において、三回にわたる中村の欺罔行為は、それぞれ別個に行われ、それぞれ完結した不法行為であるから、これについての被上告人の重過失の有無したがつてそれが上告人の事業の執行について行われたものであるか否かということは各別に評価され得るものというべきであるが、原判決が第二回追加注文にかかるものについても被上告人の重過失を否定し、上告人の事業の執行についてなされた行為としたことは特に不当といわなければならない。

八 以上で明らかなように、本件取引は、第一審判決が判示するとおり「官庁との取引としては通常あり得ない異例の態様に属するものであり、通常人の注意をもつてすれば、原告においてこのことを容易に看取し得たものというべき」(第一審判決一五丁表九行目から同丁裏初行)であり、被上告人において、中村のした本件取引が真正の事業の執行でないことを知らなかつたことには重大な過失があつたというべきであつて、本件取引は、客観的、外形的に上告人の事業の執行につきなされた行為であると見ることは到底できないことが明らかである(最高裁昭和四二年一一月二日第一小法廷判決・民集二二巻九号二二七ページ参照)。原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の適用の誤り、経験則違背ないし理由不備、理由齟齬の違法があるといわなければならない。

第三点 過失相殺について被上告人の過失を一割とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違背ないし理由不備の違法がある。

原判決は、被上告人の過失は「軽少な過失にとどまる」(原判決三三丁表八行目)ものとした上、本件加害行為による損害賠償額を定めるについて被上告人の過失を一割として過失相殺を行つている。しかし、仮に本件加害行為について上告人の使用者責任を肯定し得るとしても、第二点において詳述したように被上告人の過失は極めて大であるから、大幅な過失相殺を行うべきであり、一割の過失相殺にとどめた原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな経験則違背ないし理由不備の違法がある。

ことに、本件においては、中村は、原判決認定のとおり、被上告人に対し、本件取引について、昭和五一年三月一七日から同年四月二三日までの間に四回にわたつて合計三一五〇万円を弁済しており(原判決三四丁表五行目から八行目)、原判決は、四〇九九万六五〇〇円の損害額に一割の過失相殺を施こした残額三六八九万六八五〇円を上告人の賠償すべき額とした上、右賠償額から右弁済額を控除した残額五三九万六八五〇円につき被上告人への支払を命じているのであるが、仮に過失相殺に当たつてしんしやくすべき被上告人の過失の程度を二割四分と見るなら、上告人の賠償すべき額は右弁済額三一五〇万円を下回ることとなり、本訴請求は棄却されるべきこととなるのである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例